S.T.Sのアニメ感想

S.T.スクリューこと僕が気まぐれにアニメの感想を呟きます

大満開の章 最終話 感想「新日常系のその先へ」

先日の2022年2月20日、勇者部満開19回目のオンリーがあった、私はサークル参加なので、前日入りして、その夜は観音寺パークホテルに泊まったのだが、その少し前、風呂上がりに友人と歩いているとゆゆゆ三期の話になった、私はまあ、色々な感情とかタイミングとかがあって、三期は一話しかみてなかったのだが、友人から有益な情報をその時もらった。

「最終話とりあえずみたら?二期の最終話から繋がってる感じのやつだし」

そう言われるならまあ、観てみるか。

初めはそんな軽い気持ちだった。

そしてその夜、私はホテルの一室で、スマートフォンに映し出される大満開の章の最終話を見た。

その30分そこらの映像に、私は心を奪われてしまった、勇者の章、最終話、あの感動の続きがあった。

私は勇者の章の最終話に感動してこの界隈に突っ込んでいったようなもので、その後日談をどれだけ妄想したことか、それがそこに、目の前にあった。

それを観た中で私が感じた様々なことの少しを、ここに書き出してみたいと思う

 

※注意

この文章を書いてる時点で私は勇者史外典三部作までの作品は読んで、観ているが(ゆゆゆいは知らん)、大満開の章は一話と最終話以外は見ていないし、そこらあたりの期間のインタビュー記事や資料集などは全く読んでいない状態で書いているので、そこは悪しからず

 

 

新日常系のその先へ

 

 

勇者の章最終話、その待ち望んだ後日談

先ほども述べた通り、私がゆゆゆにハマったきっかけは勇者の章、その最終話に感動したところが大きい、壮絶な戦いの後、壁はなくなり、荒廃した外の世界が広がり、神は消えた。

神に守られていた時代の終焉、それはとても厳しい現実で、その後を思うと不安な気持ちになるが、しかし、エンドロールの後ろに映る6人の少女の笑顔が、しかし明るい未来を確信させてくれる、そんなエンディングだった。

そこから彼女たちがどう成長し、どう道を進むのか、とても想像を捗らせていたものだ。

 

自分が想像していたのとは少し違う、四年後の勇者たち

しかし、今回の最終話は、そんな勇者の章後に私が想像していた未来とは異なっていた。

私の中では勇者部の面々は、世界の復興という大変な世の中ながらも、普通の少女として青春を全うし、大人になり、就職したりあるいは結婚したり、そういう当たり障りのない、しかし幸せな日常を過ごしてゆくのだと思っていた。

だが今回の最終話では、外の世界をバイクで駆け巡る友奈と東郷、それをクルーザーからサポートする夏凜、そして神樹の残骸(?)をエネルギーに変換する研究を行う風、果ては大赦のトップに立った園子などは、あまりにも普通とは言い難ぐ、世界の復興の最前線に立つ彼女たちの四年後の姿に少し驚いた。

予想通りだったのは樹ぐらいなもので彼女は私の想像通り、シンガーソングライターとして夢を追い続けていた。

樹を除く彼女たちの姿は、私が勇者の章視聴後、もっと言えばメモリアルブック読破後に楠率いる防人組に対して考えていた想像だった。

メモリアルブックでの芽吹たちの最後の会話が、これからも最前線で奮闘するべく意気込む言葉だったのを覚えている。

そして、勇者部が普通の日常に戻り、防人たちが最前線で奮闘する想像になっていた一番の理由が「新日常系」である

 

新日常系

新日常系という言葉はゆゆゆの制作局であるMBSの前田俊博プロデューサーが、毎日新聞デジタル(まんたんウェブ)内のインタビュー記事 にて言及した単語である。

平たくいうと

日常系「日常っていいよね〜(ほのぼの)」

新日常系「日常っていいよね…(切実)」

といった具合である。

この言葉が提唱されたゆゆゆ一期、結城友奈の章はその言葉通りに、最初の方は戦いがありながらも幸せだった勇者部一同が、満開を経験する辺りからじわじわと日常が侵食されてゆき、絶望的な真実を知り、今までの日常の尊さを視聴者は嫌というほど噛み締めれる内容であった、結城友奈の章はまさに「新日常系」である。

これに対しくめゆは、新日常系とは言い難いストーリーである。

まず彼女たちには噛み締めるべき日常がない、くめゆにも辛い展開、大変な展開はあるが、それに直面し、今までの日常を想い咽び泣くなどということは起こらない、その日常がないのだから。

そして彼女たちはそういう平穏に戻りたければいつでも戻れる状況にある、だって変わりはいくらでもいるのだから、それが防人というシステムである。

しかし彼女たちは平穏など受け入れず、いくら踏みつけられようとも懸命に立ち上がる、自らの価値を認めさせるために。

これは「新日常系」でもないが「日常系」でもない、当てはめるなら「成り上がりもの」だろう。

「新日常系」の登場人物である勇者部が平穏な幸せを求め日常に戻り。

「成り上がりもの」の登場人物である防人たちがさらに自分達の価値を輝かせるために最前線を突っ走る。

私はこういう認識だったからこそ、勇者の章を見終わった後、勇者部の面々は平穏な日常に戻ってゆくのだろうと考えていた。

 

一期にはなくて二期にはぼんやりと考えさせられてて、そして今回ではっきりと描写された「日常への回帰」の終焉

しかし彼女たちはそうはならなかった、彼女たちも防人たちと同じく、世界の復興の最前線という、平穏な日常とはかけ離れた未来にたどり着いた。

そう、大満開の章は「新日常系」ではないのだ、もし新日常系であるのならば、今までの日常に戻る(結城友奈の章)か今までの日常には戻れず(戻らず)厳しい戦いを続ける(魔法少女 まどか☆マギカ)かの二択であるべきだ、しかし、大満開の章最終話、勇者部はそれまでの日常には戻らなかった、では、彼女たちはそれまでの日常に戻れず、厳しい戦いに身を置き続けているのかと言われると、それもNOと言えるだろう、四年後の勇者部の面々には、笑顔が溢れていた、厳しい現実であっても、彼女たちは日常の尊さなどを想ってなどいない、「結城友奈は勇者である」は「新日常系」では無くなった。

これは勇者の章で仄めかされていたことだ。

勇者部にとって、ひいては神世紀300年を生きる人々にとっての日常とは、神樹の加護により造られてきた狭いながらも安定や平穏という言葉がぴったりな世界での暮らしだった。

その加護を与えていた神が消えたということは、人々にとっての日常の崩壊を意味する。

勇者部は戦いに決着をつけ、日常に戻れるように見えたが、戦いに決着をつけたが故に、日常に戻れなくなってしまったのだ。

このように、勇者の章の時点でゆゆゆは「新日常系」から外れているように見えるのだが、天の神との300年もの永きにわたる戦いの決着の方に重きが置かれたことや、安芸先生の「大人たちが責任を背負っていこう、そうでなくてはならない」というセリフによって、ここから先は大人たちが奮闘し、少女たちの日常は守られたかのように見えることから、勇者の章での日常の終焉は仄めかされるにとどまった。

それが大満開の章でははっきりと示された。

 

新日常系のその先へ

大満開の章最終話の序盤はそんな、今までの日常は終焉を迎え、もう戻ってこないことを痛感させる描写を多く入れている、それは冒頭の友奈のセリフからも読み取れる、平穏は戻ってきた、しかし前とまったく同じ平穏はもう来ない。

安定した供給は消え失せ、未知に満ちた膨大な世界がいきなり現れた、不安は確かに存在する。

 

我々リアルの世界の現状もそうである、今までになかった感染症により私達の日常は崩壊してしまった。

人と会うことは制限され、遠くに行くことも憚れ、多くの人が部屋へ引きこもることを余儀なくされた、この感染症が治まったとしても、病が流行る前の生活に完全に戻るかと言われれば、NOだろう。

 

いつまでも続く「日常」は、幻想である。

 

ならばまた少女達は過酷な運命に晒されてしまうのか?

我々の未来は暗く、鬱屈しているのか?

 

違う

 

そう、4年後の彼女たちは言っている、彼女たちは、目の前の変わってしまった世界から、その「日常」から目を背けることなく、真正面から立ち向かっている、自分達があの時選んだ、人として生きるという選択が間違っていなかったんだと、誇りを持つために。

 

だからこそ彼女たちは世界の復興の最前線にいるのだ。

 

彼女たちがこれから作る道が、それを辿ってゆく様々な人たちの、新たな日常となってゆく。

 

彼女たちはもう、あの頃の日常には、勇者部には戻れないのだろう

それがどうした?

彼女たちはそんなのなんてことなさそうに笑い合いながら、走り続けるのだろう、百年、千年、いや、“いつまでも続く喜び”を噛み締めながら。

 

結城友奈は勇者である」は、“日常の尊さを想う”作品から、“新しい日常を自分たちで作っていく”作品へと昇華したのだ。

 

この最終話を見た翌日、私は勇者部満開19の会場へと向かった、そこではコロナ禍前によく会っていた人たちとの久しぶりの再会があった。

みんな元気そうで、あの時とは色々と変わってしまっているはずなのに、でもあの時のようにゆゆゆのことや観音寺のことを楽しげに話していた。

もちろんそれは表向きの話で、裏では結構きつい現状に立たされている人もいるのかもしれない。

現に僕も、色々あって大満開の章をリアルタイムで見れない心情であった。

でも、だからこそ、僕はこの最終話を、このタイミングで見ることができて、本当に良かったと思う。

日常が変わってしまっても、私達は希望を持って前に進むことができる。

そう、勇者部が教えてくれたから。

そんなふうに、みんな、笑っていたから。

 

最後に、私が大好きな映画、“LIFE”で知った、LIFE紙のスローガンを載せて締めようと思う

 

TO SEE THE WORLD, 

THINGS DANGEROUS TO COME TO,

TO SEE BEHIND WALLS,

TO DRAW CLOSER,

TO FIND EACH OTHER AND TO FEEL.

THAT IS THE PURPOSE OF LIFE.

 


世界を見よう

危険でも立ち向かおう

壁の裏側を覗こう

もっと近づこう

もっとお互いを知ろう

そして感じよう

それが人生LIFEの目的だから